憲法改正 第二次試案(改訂二版)

平成三十一年四月一日改訂


【憲法とは】

わが国において「憲法」と言へば、聖徳太子の「十七条の憲法」が直ちに想起されるが、 『日本書紀』ではこの「憲法」を「いつくしきのり」と訓みならはしてゐる。「十七条の憲法」は倫理的訓誡を示したものと捉へられ、これが近代的な意味における「憲法」でないことは自明の理である。但しこの中において第三条の「承詔必謹」と、第十七条の衆議の重要性とを説く内容が見られるのは極めて意義深いと言へよう。かうした理念を近代国家進捗のために明確に表明したのが、 「五箇条の御誓文」における「広ク会議ヲ興シ萬機公論ニ決スヘシ」の公議政体としての性格である。

わが国が嘉永六年(一八五三)のペリー来航以降の動乱を経て、否応なく世界史の経緯の中に組み込まれ、洋的な政体に倣はざるを得なくなつた時に、 constitution を「憲法」と訳したわけである。 constitution の語源は「共に立てる」であり、これが「憲法」や「政体」の意味に転化したのは、西洋における歴史過程が大きく関係してゐる。

constitution は、フランスの「人権宣言」に「権利の保障が確保されず、権力の分立が定められてゐない社会は、いづれも憲法をもつとはいへない」と述べてゐる如く、国王の権力と国民の権利との血塗られた闘争の過程から案出された一種の契約として捉へられる。そこで「共に立てる」の「共に」の意義は、国王と国民との間の妥協の産物として理解できるであらう。更に国王を弑逆したフランスや、多民族国家であるアメリカにおいては、共有する価値観を「共に立てる」必然的な要件が存してゐた。

わが国において政体としての立憲君主制が確立したのは、明治時代からと通常捉へられてゐるが、実際には既に律令の制定によつて成立してゐるといふ事実を深く認識する必要がある。即ち世界史の経緯としての時代の要請の中で、維新政府は西洋型の立憲君主制に倣ひ constitution を作成しなければならなくなり、明治九年九月六日「憲法起草に関し熾仁親王に下し給へる勅語」で、「朕爰ニ我建国ノ体ニ基キ、広ク海外各国ノ成法ヲ斟酌シ、以テ国憲ヲ定メントス。汝等ソレ宜シク之ガ草按ヲ起創シ以テ聞セヨ。朕将ニ択ハントス」と仰せ出された。

この畏き勅語に「我建国ノ体ニ基キ」と仰せ給ふた思し召しが一番肝要なところである。即ち帝国憲法は単に西洋の模倣としての constitution を作成したわけではなく、あくまでもわが国の歴史的連続性に則つた「憲法」体系を考へたのである。そのことは第一条から第三条までの条文に国体法を明記したことによつて示されてゐよう。憲法には成文と不文とがあるが、今日の如く複雑な世界史的状況の中においては、わが国の歴史的連続性を保つためにも、基本的な事案については克明に規定しておく必要があると思はれる。

【改正の指針】

現行憲法は、大東亜戦争における軍事的敗北による連合軍の占領期間中、米軍の銃剣の下で強制的に制定された翻訳憲法である。その改正手続きは、議会に上程して畏くも先帝陛下の御裁可を戴いた上での公布といふ擬制をとつてゐるが、国民の目を欺く言論統制によつて全く選択肢のない状況の中に己むなく成立せしめられた憲法であるといふ事実は夙に知られる所である。即ち昭和二十一年十一月三日の「日本国憲法公布の上諭」及び「日本国憲法公布記念式典において下されし勅語」によつて整合性を保つてゐるが、その性格は米国の初期対日方針に基づく占領基本法乃至占領管理法であることは言ふを挨たない。

占領期間中に被占領国の憲法を改正することは、ハーグ陸戦条規四三条や大西洋憲章三条によつて禁じられてをり、ポツダム宣言十二項においても「国民の自由に表明する意志」によつて最終政治形態が決定されると明記されてをり、さうした規定に違反してゐるのは明かである。独立国の憲法制定における第一義は、国家・国民の主体的意志によつて制定されなければならない、といふ成立過程にあり、かうしたわが国の立場と歴史を全く無視し、占領政策を円滑に遂行することだけを目途とした憲法であるが、これを今日まで継続してきた政治の怠優をこそ強く批難しなければならない。

現在のわが国をめぐる内外の状況は、国益を逸する外交姿勢のため国家としての矜りを喪失し、政治は利権を保持するためだけに汲々としてをり、さうしたことの必然的な帰結としての無規範・無秩序傾向が顕著となつて、心ある国民の憂慮するところ大である。かかる状況の中で漸く憲法改正の議題が上がつてきたのは極めて当然な成り行きと言へるが、現在の動きを全般的に検するに、所詮占領基本法の枠内での修正が論じられてゐるに過ぎないと見られよう。今日の如く政治・経済・教育等々が歪んでるる結果齎されてゐる諸問題は、全てこの占領基本法の桎梏による戦後体制の弊害であるのを国民自身が理解し始めてをり、そのためにもわが国としての正常なる国憲を速やかに回復することが政治に課せられた急務であることを自覚すべきである。

わが党は、先づ帝国憲法の復権を為すことが正当と考へるが、ただ戦前に対する反省及び現今における情勢の変化の中で、これをより良く改正して、わが国の最高法規とすることを思慮してゐる。そこで帝国憲法を鑑みるに、当時の状況からして国体法と政体法とが渾然としてをり、法理上の論争をもたらした経緯が存した事実を理解する必要がある。

この度わが党が呈示する改正案は、あくまでも悠久なる国史の道統に則り、その中でわが国が如何にあるべきかを思考した結果としてである。而して改正案の要諦は、国体と政体とを明確に峻別したところにある。前記した如く、帝国憲法においては国体と政体との規定が不明瞭であつたことにより、法理上の混乱を招かざるを得なかつたが、わが党はこの点を十分に留意した上で改正案を作成した次第である。

改めて断るまでもなく、国体は決して明治以降の法体系の中で成立したものではなく、近代以前においては侵すことの出来ない自然法として成立した不文律の慣習法として、厳然と自覚せられてゐたのである。而して国体の意義は、わが国の悠久なる理念として存してゐた事実を知らねばならない。かうした理念の尊厳性且つ不可侵性を保持するために、ここに不磨の大典としての「国体憲章」を明文化したことを特記しておく。

国体に対する政体は、時勢の状況に応じてのより良い政治としての組織形態の制度を意味する。それは正しく伊藤博文が『帝国憲法義解』の第七十三条改正条項において、「法ハ社会ノ必要ニ調熟シテ、其ノ効用ヲ為ス者ナリ、故ニ国体ノ大綱ハ萬世ニ旦リ永遠恒久ニシテ、移動スヘカラスト雖、政制ノ節目ハ世運ト倶ニ時宜ヲ酌量シテ、之ヲ変通スルハ亦己ムヘカラサルノ必要タラスムハアラス」と説くところである。

そこでわが党は現在の状況を勘案して、政体としての最高法規である「日本国憲法」を定め、これを明示したわけである。ここに「国体憲章」と「日本国憲法」とが相俟つて、わが国の伝統的理念を具現化するための近代的法体系が完備されるのである。即ち不易なる理念としての「国体憲章」に基づいて、可変的な制度である「日本国憲法」の運用が潤滑に行なはれ、国の秩序が整ふことになるのである。

【改正の方法】

現行憲法は、本来ならば昭和二十七年四月二十八日の講和条約発効により、わが国が主権を完全に回復した時点において当然失効したはずであるが、さうした手続きを怠つたがため、占領体制がそのまま戦後体制へと継続してしまつたところに、今日の問題が惹起されてゐるわけである。

かうした占領体制の継続としての戦後体制を速やかに克服しなければならないのは当然であるが、その最大の障碍となつてゐるのが「平和憲法」と称される占領基本法であるのは言ふまでもない。それが政治の不作為によつて、占領基本法がわが国の国権として定着してしまつてゐるやうな感がするのは否めないところであるが、かかる定着論に拘泥してゐては畢竟占領体制を是認する結果となり、延いてはわが国史の断絶をもたらす危険性があることを理解すべきである。

かかる定着論を支持する立場には、当時普く定着してゐた「教育勅語」を、昭和二十三年九月に議会において失効を決議したことを如何に捉へてゐるかを糺す必要があろう。「教育勅語」の失効は占領軍の銃剣の下での巳むを得ざることと言ひ訳をするならば、現行憲法の定着に対しては私たち国民が責任を負はねばならないことを覚るべきである。同時に占領憲法の定着は、わが国の政治的敗北を意味してゐることに気付かねばならない。

現代の時代区分として昭和二十年八月十五日を以つて、戦前、戦後としてゐるが、ここに大きな誤りが存してゐる。八月十五日は畏多くも先帝陛下の辱ない玉音放送によつて干戈が止んだことに重要な意義が見出せるわけである。然し乍ら法理上の戦争状態は講和条約発効まで継続してゐたので、実際の戦後としては昭和二十七年四月二十八日以降となることを認識しなければならない。繰り返すことになるが、この講和条約発効を以つて全ての占領政策は失効したにも関はらず、これが現実的に継続してゐるといふ事実が問題の起点となるのである。

而して現在におけるわが国の国権回復にあたつて最も緊要となるのは、先帝陛下の終戦の詔であることを再確認する必要がある。この畏多い詔において、先帝陛下は「国体ヲ護持シ得テ」とその御確信をお示し給はれてゐることを有難く拝し奉らなければならない。それはわが国の理念としての国体は不変であるが、政体は変はることも有り得るとの思し召しであつたと拝察奉るのが肝要であると思はれる。それはわが国の政体が改変する場合において、必ず畏き詔によつてゐるといふ厳粛なる国史の事実を深く認識しなければならない。

例へば、大化の改新の詔は人口に膾炙してゐるが、これに基づいて政体が定まり後の律令制度への道が開かれたが如ぐである。更に明治維新に際しての王政復古の大号令は余りにも有名であるが、同時に王政復古の詔を宣り給ふてゐる事実を理解する必要があり、ここに近代国家としての新しい道筋が導かれたといふ大きな意義が見出される。

かうしたわが国史上における政体の改革を考へあはせて、現在の国権回復を目指すに際し、先づ第一に念頭に置かなければならないのは、「惟フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ、固ヨリ尋常ニアラス。爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル。然レトモ朕ハ、時運ノ趨ク所、堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ、以テ萬世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス」とお示し給はれた、非常に辱けない終戦の詔である。

即ち占領軍が、軍隊の無条件降伏を政府の無条件降伏と擬装し、国際条約違反の占領基本法を憲法と称して強制したやうな非常事態を予測され給ふての、かくの如き極めて意義深い思し召しであらせられたと拝察し奉るわけである。

現今の改憲論議は、このやうな先帝陛下の辱けない大御心を全く考慮せずに、ただ情勢論としての私擬憲法を論つてゐるに過ぎないと見られよう。今日の問題は米国による占領といふ未曽有の国難がもたらした結果であり、これを原状に回復することが最大の目途である。而して占領期間中は、先帝陛下が畏くもお諭し給はれた「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ」を体し奉りて、忍従の時を堪へてきたわけである。この占領期間中における忍従の思ひが如何ばかりであつたかは改めて縷述する必要はないであらう。故に講和条約発効後、違法に強制された占領基本法は直ちに失効して然るべきであつたにかかはらず、この一当然為さねばならぬ手続きを怠つてきたところに戦後政治の性格があらはされてゐると言へる。

まさに戦後政治は畏き先帝陛下の大御心を拝し奉ることなく、政治的不作為を営々と続けてきた責任を負はねばならない。今日改憲論議が世界史の趨勢の中で行なはれるに至つてゐるが、肝腎なのは戦後政治の責任の上において占領体制の解消を図ることが何よりも急務のはずである。先づ為すべきは占領基本法の失効確認であり、これを国会において行なふことは戦後政治の不作為を明らかにする意味も含まれてゐる。それが私たち国民としての当然の責務を果たす行為と言へる。

前述した如く今日の情勢論としての改憲論議は、どこまでも占領体制を温存した上での思考であり、それではわが国の正当なる国権の回復になり得ないのは明らかであらう。今こそ占領体制を継続する戦後の「虚妄」を完全に払拭させるために、国史の道統に則り、わが国の法理に従ひ国権正常化に向けて邁進すべき時であるのを強く自覚せざるを得ない。これが現実的にに可能か、不可能かの情勢論に惑はされることなく、わが国が本来の国権を回復出来るか、否か、国家としての大きな岐路に立つてゐるのを覚悟すべきである。

改めて略述すれば、わが党は帝国憲法復元改正論を基本的主張とし、現行憲法の失効論に立つ。それは国家としての原理原則を無視した憲法は、国民生活から甚だしく乖離すると共に、歴史的連統性を否定することになると危慎するからである。しかしながら現行憲法が半世紀以上に亘つて実態として機能してきてゐることも事実であり、現実の国民生活に大きな断絶を生じせしめないことが大切である。

従つてわが党の復元改正論は、わが国憲法の正当性を回復するため単なる感情論ではなく、正式な法理的手続きに則ることを重要視してゐる。即ち占領憲法と雖もわが国が主権を回復した後も私たちの生活を律してゐたのは事実であり、わが党が主張する復元改正としての立法措置を合法的に施行するため、現行憲法第四十一条の「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である」に基づき、国民から選任された代議士が国会の場において憲法改正のための議案上程を行なひ、現行憲法の失効と帝国憲法の復元を宣し、直ちに陛下への上奏によつて詔を拝戴し、然る後に予め作成しておいた帝国憲法改正案を議決するものである。この手続きを経ることによつて、憲法改正による時間的空白を無くし、現行憲法制定過程の不正義をも糺すと同時に、欽定憲法としての性格も充足することができる。そして、過去における現行憲法下での法判断は特定の期間は有効とされるが、その後は徐々に新しい法判断に変更されることになる。

【改正の内容】

わが党が制定を目指す憲法は、建国の理想に発する精神的・道徳的伝統としてのわが国の国体を成文化した国体法と、その国体に基づいて統治機構の組織や権限を定める政体法とによつて構成される。その意図するところは, 国体法は悠久なる伝統に基づく不磨の大典とし、政体法は時代の変遷の中で改正を容易なものとするところにある。

政体法については、わが国の政体は元々立憲君主制であり、ここに近代国家としての立憲主義に基づく法治体系を前提とし、国会・内閣や国軍のあり方及び国民の権利・義務・財政制度や地方制度など、国家運営の基本を定める内容とする。昨今の各種憲法試案は、政策レベルの考へを憲法条項として入れる傾向が強いが、わが党の試案はそれを排してゐる。

わが党が提示した改正案は先づ「国民主権」の虚構を排除することである。「主権」とは、英語では sovereign power であり、これは「最高の権力」・「絶対の権力」を意味する。かうした「最高の権力」乃至「絶対の権力」を国民が有するとするのは、あくまでも西洋における君民対立の歴史がもたらした結果と言へよう。かかる概念がわが国にそぐはないのは明らかであり、わが党としては「主権」は国家に属し、それを総覧し給ふのが天皇陛下と捉へるのが妥当と考へ、「国体憲章」第一条にこれを正しく復元し明文化してゐる。

第二条の「天皇は、神聖にして侵すべからず」は,帝国憲法第三条に規定されてゐる条文であり、これについて伊藤博文が『義解』において「法律ハ君主ヲ責問スルノ力ヲ有セズ。独リ不敬ヲ以テ其ノ身体ヲ干涜スベカラザルノミナラズ、併セテ指斥言議ノ外ニ在ル者トス」と説いてゐる。このやうに憲法において聖上の政治的不答責を明らかにしてゐるに関はらず、 戦後占領軍に阿諛する学匪は条文の明確な真意を敢て曲解して捉へ、ただ天皇の神聖性を強調するだけの文辞とし、それは昭和二十一年元旦の所謂「人間宣言」によつて否定されたとの論を流布したのである。

第五条に「天皇は、国軍を統帥す」を明文化したのは、明治元年三月十四日の「国威宣布の宸翰」に、「中葉朝政衰てより、武家権を専らにし、表は朝廷を推尊して、実は敬して是を遠け」と仰せ給はられてゐるやうに、兵馬の権を決して私すること無きやう、賢き聖上が全てを総覧し給ふと共に、忠誠の対象としての御存在を明らかにするのが本条の主眼である。

政体法の第三章に国軍を置いたのは、独立国としての国防を米国に依存してゐる占領時代の延長を払拭し、国家の矜持と国益の擁護を目途とする軍としての性格を明確にするためである。即ち総理府の外局であつた防衛庁から、独立官衝としての防衛省に昇格したが、性格的には相変らず軍法も無いままの曖昧な存在であることを認識しなければならない。例へば国民同胞が国家犯罪によつて粒致されても、米国の対応に頼らざるを得ないのは月正に国家としての機能を喪失してゐると断定できよう。

最近の傾向として国内法より国際法を優位に置く条文を定める国が多くなつて来てゐるが、わが党はこの方針を肯んじることが出来ない。それは現在における国際法及び国際条約が、各国の力関係によつて大きく左右されるからである。そのことは昭和十六年四月に締結した日ソ中立条約にソ連は一方的に違反し、条約有効期間中の昭和二十年八月九日に一斉に侵攻を開始した事実によつて示されてゐる。即ち昭和二十年二月に米英ソの首脳が会して、わが国固有の領土である南樺太千島列島全島の割譲を約した上で、中立条約を破棄して対日参戦を合意させたヤルタ秘密協定が存在する。その結果シベリア抑留や現在も継続してゐる北方領土占領といふ現実を被つてゐるわが国の立場としては、斯くの如く各国の力関係によつて蹂躙される国際法及び国際条約の現状について全幅の信頼を置くことが出来ないのは当然であらう。

ここに提示したのは国家の基本法である「国体憲章」と「日本国憲法」とであるが,今日問題となつてゐる「皇室典範」については、『義解』に「皇室典範ノ成ルハ、実ニ祖宗ノ遺意ヲ明徴ニシテ子孫ノ為ニ永遠ノ銘典ヲ胎コス所以ナリ」と説いてゐるのに基づき、わが党としてはこれを「国体法」を補完する法規と位置付けてゐる。

わが国の立憲主義は、政務法としての憲法と、宮務法としての皇室典範との法体系によつて成立してゐる。法理としては、国家を法人と看倣す機関説に基づく憲法、「皇室」を天皇を家長とする一個の「家」と解釈しての皇室典範とを以て、府中と宮中とを明確に弁別して、各々規律したのである。このことは明治四十年一月三十一日勅令第六号によつて制定された「公式令」に於いて、宮務法と国務法との峻別を定められたのによつても判然としてゐる。

而して皇室典範は権力闘争を超越したところの法規であり、『義解』に「将来巳ムヲ得サルノ必要ニ由リ其ノ条章ヲ更定スルコトアルモ、亦帝国議会ノ協賛ヲ経ルヲ要セサルナリ……臣民ノ敢テ干渉スル所ニ非サルナリ」と説く如く、皇室に関する事柄は、天皇陛下御躬から総撹し給ひ、宮内大臣が輔弼して処理する法制度であり、これを皇室自律主義と称する。

今日の問題は、皇室の尊厳が政府上の制度の中に収斂されてゐることである。

米国は、昭和二十一年一月七日に承認した国務・陸軍・海軍三省調整委員会による「日本の統治体制の改革」(SWNCC228号)を十一日に太平洋軍総司令官に送附してをり、その中に「天皇は、一切の重要事項につき、内閣の助言にもとづいてのみ行動するものとすること」と、畏多くも皇上を政府の掣肘下に置く「安全装置」としての意図を明確に示してゐる。

而して昭和二十一年二月十三日に提示されたGHQ草案の第一章天皇の第一条に「皇帝ハ……其ノ地位ヲ人民ノ主権意志ヨリ承ケ之ヲ他ノ如何ナル源泉ヨリモ承ケス(外務省仮訳、以下同断)」と規定し、第二条に「皇位ノ継承ハ世襲ニシテ国会ノ制定スル皇室典範ニ依ルヘシ」として、畏き皇室の自律権を完全に剥奪したのである。更に執拗に第二章人民ノ権利及義務の第十四条に「人民ハ其ノ政府及皇位ノ終局的決定者ナリ」と定めてゐたが、さすがにこの条文は削除されるに至つた。

畏き皇室の自律性を損ふ典範改正について、二月二十二日松本烝治国務大臣が総司令部を訪ねた際に、ケイデイスは「イギリスの国王がさうであるやうに、天皇も法の下にあるものとした」と答へ、ホイツトニイは「皇室典範も国会が制定するのでなければ、この憲法の目的とするところは損はれる。これは本質的な条項」と述ぺてゐる。

かくして政務法の下位に置かれることになつた現行「皇室典範」は、日本国憲法(占領憲法〕第二条の「国会の議決した皇室典範」の文辞に基づき、第百条二項の「この憲法を施行するために必要な法律の制定……は、前項の期日よりも前に、これを行ふことができる」を以て、枢密院の諮詢及び議会の協賛を経て、昭和二十二年一月十六日法律第三号の公布番号を持つ一法律として制定された。

畏くも皇室の家法(Imperial House Law)を、臣である国民が議して、これを法律化するのは、わが国に於いて絶対にあり得べからざる事態と認識しなければならない。占領軍はわが国の井然と整へられた法秩序を強制的な権力を以て悉く破壊せしめ、自らが作成した歪曲せる法体系を強要したわけである。ここに畏き皇室の尊厳が貶められ、今日の如き忌々しき問題が惹起されてゐるのである。

わが党はかうした占領施策を継続してゐる所謂戦後体制を解消して、速やかに本然の状態に恢復することを主張してをり、その最重要課題として「憲法」及び「皇室典範」の復元改正試案を提示する次第である。極めて不遜ながらわが党の「皇室典範」復元改正案の要諦は、第四十二条の「皇族ハ養子ヲ為スコトヲ得ス」を、「皇族は同族を養子と為すことを得る」と改めることにある。『義解』は「皇族互ニ男女ノ養子ヲ為スコトヲ禁スルハ、宗系紊乱ノ門ヲ塞クナリ」 と説いてゐるが、これは当時の状況として維新期に還俗され給ふた宮を始め世襲宮々の増え給ふのを念頭にしての条規であり、 御祭祀の継承等を勘案すれば、斯様に改めるのが適切であらうと思慮される。『義解』に説く「宗系紊乱」の重大な危慎については、皇族会議を以て議する等の細則を定めた「皇族養子相統令」(仮称)の如きを皇室令」として制規することによつて、懸案事項への対処は可能であると判断してゐる。なほ御譲位については十分検討を要する重要な課題であるので後日に期することにする。

因みにわが党の「日本国憲法」案は、占領軍の意向を取り入れることに抵抗した内大臣府御用掛の佐々木惣一博士が昭和二十年十一月二十四日に、先帝陛下に奉答申し上げた改正案を参考にして作成した第一次試案を、更に専門的な見地から頂いた種々の意見を勘案し、これを集約して第二次試案としてここに提示した次第である。



国体憲章案

第一条 日本国は、万世一系の天皇之を統治す。
第二条 天皇は、神聖にして侵すべからず。
第三条 皇位は、皇室典範の定むる所に依り、皇男子孫之を継承す。
第四条 天皇は、祭祀並びに儀礼を司る。
第五条 天皇は、国軍を統帥す。
第六条 天皇は、国政又は公益上必要ある時、政府其の他公の機関並びに国民に対し親諭を発す。
第七条 摂政は、天皇の名に於て国権を総攬す。摂政を置くは皇室典範の定むる所に依る。
第八条 天皇崩ずる時は、皇嗣即ち踐祚し、祖宗の神器を承く。
第九条 即位の礼及び大嘗祭は、京都に於て之を行ふ。
第十条 踐祚の後、元号を建て、一世の間に再び改めざること。



日本国憲法案

【上諭】

【第一章】 天皇

第一条 天皇は、国の元首にして国権を総攬し、此の憲法の条規に依り之を行ふ。
第二条 天皇は、国会の協賛を以て立法権を行ふ。
第三条 天皇は、法律を裁可し其の公布を命す。凡て法律勅令其の他国務に関る詔勅は国務大臣の副署を要す。
第四条 天皇は、国会を召集し其の開会閉会停会及衆議院の解散を命ず。
第五条 天皇は国会の召集在らざる場合に於て、公共の安全を保持し、又は其の災厄を避くる為、緊急の必要に由り、枢密院の助言を得て法律に代るべき勅令を発す。
 此の勅令は次の会期の初に国会に提出し国会に於て承認を得。
第六条 天皇は、法律を執行する為に、公共の安寧秩序を保持する為に、又は国民の幸福を増進する為に、必要なる命令を発し、又は発せしむ。但し命令を以て法律を変更することを得ず。
第七条 天皇は、内閣総理大臣・衆参両院議長・最高裁判所長官の三権の長を親任し、外国大使の信任を行ふ。
第八条 天皇は、戦を宣し和を講し、及諸般の条約を締結す。
第九条 天皇は、戒厳を宣告す。
第十条 天皇は、栄典を授与す。
第十一条 天皇は、大赦特赦減刑及復権を命ず。

【第二章】 国民

第十二条 日本国民たるの要件は、法律の定むる所に依る。
第十三条 日本国民は、其の能力に応し公益の為必要なる勤務を為すの義務を有す。
第十四条 日本国民は、公共の秩序に反せざる限り人間必需の生活を享受するの権利を有す。
第十五条 日本国民は、法律命令の定むる所の資格に応し均く官吏に任せられ、及其の他の公務に就くの権利を有す。
第十六条 日本国民は、法律の定むる所に従ひ国防の義務を有す。
第十七条 日本国民は、法律の定むる所に従ひ租税其の他の公課を納むるの義務を有す。
第十八条 日本国民は、居住移転及職業の自由を有す。
第十九条 日本国民は、故なく逮捕監禁審問処罰を受くることなし。
第二十条 日本国民は、教育を受ける権利及義務を有す。
第二十一条 日本国民は、裁判を受くるの権利を有す。
第二十二条 日本国民は、其の法律に定むる以外は、許諾なくして住居に侵入せられ、及捜索せらるることなし。
第二十三条 日本国民は信書及之に準すへきものの秘密を侵さるることなし。
第二十四条 日本国民は其の財産権を侵さるることなし。
 公益の為必要なる制限は法律の定むる所に依り且特別の事由なき限相当の補償を以てす。
第二十五条 日本国民は、信教の自由を有す。
 安寧秩序を妨くる者、国民たるの義務に背く者、及保護奨励を望む者に対し加ふる制限は法律の定むる所に依る。
第二十六条 日本国民は、公共の秩序に反せざる限り、思想学問芸術及言論著作印行集会結社の自由を有す。
第二十七条 日本国民は、別に定むる所の規程に従ひ請願を為すの権利を有す。
第二十八条 本章に示したるものの外、日本国民の自由は、戒厳等の特別な場合を除き妨げられない。
第二十九条 第二十七条乃至第二十八条は、法律に別段の定なき限、日本国民に非さる者に付、之を準用す。

【第三章】 国軍

第三十条 国土保全、国家の安全保障及国民保護のため国軍を置く。
第三十一条 国軍の指揮は内閣総理大臣が統括し、軍の編成及常備兵額は法律を以て之を定む。
第三十二条 国軍は軍法の定むるところに服す。

【第四章】 内閣及枢密院

第三十三条 内閣総理大臣は、天皇を輔弼し其の責に任ず。
第三十四条 内閣総理大臣の選任は、国会の過半数による別に定むる所の規程に依り、一定の手続を経て之を行ふ。
第三十五条 内閣総理大臣は、官制の定むる所に依り国務大臣を選任し内閣を組織す。但し其の過半数は衆議院議員の中から選任す。
第三十六条 枢密院は、官制の定むる所に依り天皇の諮詢に応へ其の意見を上奏す。
 天皇は重要の国務に付、枢密院に諮詞することあるべし。

【第五章】 国会

第三十七条 国会は、衆議院参議院の両院を以て成立す。
第三十八条 衆議院は、衆議院法の定むる所に依り、公選せられたる議員を以て組織す。
第三十九条 参議院は、参議院法の定むる所に依り、選任せられたる議員を以て組織す。
第四十条 何人も同時に両議院の議員たることを得ず。
第四十一条 凡て法律は国会の協賛を経るを要す。
第四十二条 両議院は、政府の提出する法律案を議決し、及各々法律案を提出することを得。
第四十三条 両議院の役割は、議院法の定めるところにより衆議院の議決を優位とする。
第四十四条 両議院は、法律又は其の他の事件に付、各々其の意見を政府に建議することを得。但し其の採納を得さるものは、同会期中に於て再ひ建議することを得す。
第四十五条 国会は、毎年之を召集す。
第四十六条 衆議院解散を命せられたるときは、勅命を以て新に議員を選挙せしめ、法律の定むる処により之を召集すへし。
第四十七条 両議院は、各々其の総議員三分の一以上出席するに非されは、議事を開き議決を為すことを得す。
第四十八条 両議院の議事は、過半数を以て決す。可否同数なるときは議長の決する所に依る。
第四十九条 両議院の会議は公開す。
第五十条 両議院は、各々天皇に上奏することを得。
第五十一条 両議院は、国民より呈出する請願書を受くることを得。
第五十二条 両議院は、此の憲法及議院法に掲ぐるものの外、内部の規律維持等に必要なる諸規則を定むることを得。
第五十三条 両議院の議員は、議院に於て発言したる意見及表決に付、院外に於て責を負ふことなし。但し議員自ら其の言論を演説刊行筆記又は其の他の方法を以て公布したるときは一般の法律に依り処分せらるへし。
第五十四条 両議院の議員は、現行犯罪又は内乱外患に関る罪を除く外、会期中其の院の許諾なくして引続き逮捕せられ、及新に逮捕せらるることなし。
第五十五条 国務大臣及政府委員は、何時たりとも各議院に出席し及発言することを得。
第五十六条 両議院は、各々総議員十分の一以上の賛成を以てする動議に基く決議あるときは、特定の国務大臣及其の院の議員の職務に付、不当の事項存するや否やを審査する為査問委員会を設く。

【第六章】 司法

第五十七条 司法権は天皇の名に於て法律により裁判所之を行ふ。裁判所の構成は法律を以て之を定む。
第五十八条 裁判官は、法律に定めたる資格を具ふる者を以て之に任ず。
 裁判官は、刑法の宣告又は懲戒の処分に由るの外其の官を免ぜらるることなし。
 懲戒の条規は法律を以て之を定む。
第五十九条 裁判の対審判決は之を公開す。但し安寧秩序又は人権を害するの虞あるときは法律に依り又は裁判所の決議を以て対審の公開を停むることを得。
 前項裁判所の決議に対し法律の定むる所に依り当事者弁護人及傍聴人異議を申立てたるときは、裁判所は再議することあるへし。
第六十条 犯罪の検察は、法律に依り検事之を行ふ。
第六十一条 裁判官及検事は、公正の態度に付社会の信頼を保持すべし。
 裁判官及検事は、相互独立して共に司法権の適正なる運営を期し両名職域の混淆なきことを要す。

【第七章】 財政

第六十二条 新に租税其の他の公課を課し及課率を変更するは、法律を以て之を定むへし。但し報償に属する行政上の手数料及其の他の収納金は此の限に在らず。
 国債を起し及予算に定めたるものを除く外、国庫の負担となるへき契約を為すは、国会の協賛を経べし。
第六十三条 国会の歳出歳入は、毎年予算を以て国会の協賛を経べし。
 予算の款項に超過し又は予算の外に生したる支出あるときは、後日国会の承諾を求むるを要す。
第六十四条 予算案は、前に衆議院に提出すへし。
 予算案に付、参議院に於て衆議院と異なる議決を為したる場合には、政府は衆議院の請求に依り参議院の再議を求むることを要す。
第六十五条 皇室経費は、現在の定額に依り毎年国庫より之を支出す。
 国会は皇室経費に付、新に考慮を為すことを政府に求むることを得。
 前項の場合に於て政府同意するときは定額の増減を計上し国会の協賛を要せず。
第六十六条 憲法上の大権に基づける既定の歳出、法律の結果に由る歳出、及法律上政府の義務に属する歳出は、政府の同意なくして国会を廃除し又は削減することを得ず。
第六十七条 特別の須要により政府は予め年限を定め継続費として国会の協賛を求むることを得。
第六十八条 公共の安全を保持する為緊急の需用ある場合に於て内外の情形により国会を召集すること能はざるときは、政府は勅令に依り財政上必要の処分を為すことを得。
 前項の場合に於ては次の会期の初に国会に提出し其の承諾を求むるを要す。
第六十九条 国会に於て予算を議定せず、又は予算成立に至らざるときは、政府は前年度の予算を施行すべし。
第七十条 国家の歳出歳入の決算は会計検査院之を検査確定し、政府は其の検査報告と倶に之を国会に提出すへし。
 会計検査院は、天皇に直隷し国務大臣に対し独立して其の職務を行ひ其の意見を上奏するものとす。
 会計検査院の組織及職権は、法律を以て之を定む。
 会計検査官の資格其の身分の保障に付ては第五十八条を準用す。

【第八章】 地方自治

第七十一条 地方公共団体の組織及運営に関する事項は地方自治の本旨に基いて法律で是を定む。
第七十二条 地方公共団体には法律の定むる所に依り其の議事機関として議会を設置す。
 地方公共団体の長其の議会の議員及法律の定むる其の他の吏員は其の地方公共団体の住民が直接此を選挙す。
第七十三条 地方公共団体は其の財産を管理し事務を処理し及行政を執行する権能を有し法律の範囲内で条例を制定することを得。

【第九章】 補則

第七十四条 将釆此の憲法を改正するの必要あるときは、勅命を以て議案を国会の議に付すべし。
 此の場合に於て両議院は各々其の総員三分の二以上出席するに非ざれば議事を開くことを得ず。出席議員三分の二以上の多数を得るに非ざれば改正の議決を為すことを得ず。
第七十五条 国会は憲法改正の必要を議決したる場合に於ては勅旨に依り国民投票を行ひ国民投票の結果過半数を得たる場合は改正の必要を認む。
 国民投票を行ふの方法は法律を以て之を定む。